さいとうひろおブログ

夢と希望と借金しかない。千葉県の実家から沖縄目指して歩いてます。自分探しではなく、探した結果見つかった答えがこれだった。

【55日目】 強烈な思い出の地『弥谷観音』他、平等寺、月夜御水大師、鉦打大師堂など

どーもどーも。


6月24日(月)


黒瀧寺を打ち終わりまして今度は東へ進みます。


太龍寺ロープウェイ乗り場の前を走る195号をてくてくてく。



「わしょく」じゃないですよ。
「わじき」です。


「鷲敷(わじき)」という表記も見られますが、元々「和食」という自然発生した地名、町村があり1889年に町村制の施行により他の町村と合併し「鷲敷村」になりました。


その後1908年に「鷲敷」になり、2005年にさらに周辺の町村と合併し現在は「那賀町」の一部となりました。






しばらく歩いて道の駅わじきで休憩。



グミはおいしくなかったです。
さてこの先から南に向かい山越えです。
大した道のりではありませんので楽勝です。




この阿瀬比(あせび)地域から大根(おおね)峠を越えてきたわけですが、看板にある音坊(おとんぼ)山とその山頂にある山上神社が気になります。
またいつか行ってみましょう。


山を下りると長閑(のどか)な田園風景が広がっています。


田んぼを眺めながら進むと町の景色に馴染んだお寺が現れます。






珍しく院号まで書いてありますね。

二十二番『白水山 医王院 平等寺
(はくすいさん いおういん びょうどうじ)





縁起にあるようにここはお大師様の「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」という願いが込められています。




本堂の前にこんな看板が。
6年前にはなかったものです。



私も撮ってみました。



頭の部分と背景の境が曖昧(あいまい)ですがたしかにそのように見えますね。


お次は進路を少しはずれて大通り沿いにあるローソンへ向かいます。



ここは6年前にも寄った思い出深いローソンです。


当時は鶴林寺太龍寺平等寺と続けて進んだのですが平等寺には納経ができる17時に間に合いませんでした。


寺の周辺には商店がなく、もしくは閉店していて食料が買えず仕方なくこちらのローソンまで足を延ばしました。


そうしてやっとこさお店で買い物をしていると副店長の名札をつけた青年(結構若かった印象)が私のお腹に抱えられているチーバくんを見て「チーバくんですね!」と声をかけてくれたのだ。


嬉しくなって少しお話させていただいたあと外で買ったものを食べていると、なんと副店長さんがコーヒーをお接待で持ってきてくれたのだ!


二重三重に嬉しかったなぁ。

元気でおられるだろうか


進路に戻り次の札所を目指すのですが、ついに次の二十三番で徳島県の札所は最後です。


そこまでの道のりは距離があるうえ、私は他の霊場に寄る関係でさらに時間がかかります。


一歩一歩進みましょう。




なんとも風流なバス停名です。
この土地の名前も月夜(つきよ)です。
そしてその由来にはお大師様とその霊跡が関係しています。 


また無造作にこんな不思議ポイントも。




このような逸話に触れるにつけ、一体最初にこの話をした人は何を考えていたのかとても気になります。


まだ寺や神社ならそれらしさを演出するためにも、たとえフィクションだとしても伝説のひとつやふたつあっていいでしょう。


しかしこのような道端の石に不思議エピソードをつける理由がわかりません。


昔の人の戯(たわむ)れが思いのほか長く言い伝えられたのかもしれませんが、当時の人に聞いてみたいですね。


さらにぽつんと小さい神社が。






御所(ごしょ)神社、祭神は土御門(つちみかど)上皇である。


本当にぽつんと、ひっそりと佇むこの神社。
看板の説明書きにあるとおり「行宮」は「あんぐう(かりみや)」と読み、天皇行幸(ぎょうこう、みゆき:外出のこと)や政変により御所にいられない時に建設された施設のことである。


細かいことを言うと土御門上皇は「天皇」ではなくなっていたため外出は「行幸」ではなく「御幸(ごこう、ぎょこう、みゆき)」という。
天皇以外の皇族の外出=御幸に際して建てられた施設のことも行宮といっていいのかは不明である。



この先にあるのが番外霊場『月夜御水(つきよおみず)大師』である。









お大師様が杖で土を堀り水を湧かす話はよくありますが、ここはその湧き出した水底に光る石を見つけ掲げたところあたりを照らしまるで月夜のようになった、という伝説なのです。


ここからまた山道に入ります。
途中から道路に合流して緩やかな道が続き、大きな道路に出ます。


優しい


これから峠を越えるぞという道路脇に薬師堂と大師堂があります。



右側が『鉦打坂(かねうちざか)薬師堂』、左側が『鉦打大師堂』です。
「鉦打」はここの地名です。






要約しますと、この先の道は土佐街道といい街道随一の難所として古くは多くの旅人や遍路を苦しめたという。
疫病に罹(かか)ったりそのまま行き倒れになる者もあり、地域住民は哀れに思い養生所(ようじょうしょ)や供養塔を建てた。
その後薬師瑠璃光如来を灌頂(かんじょう)祈願したのが薬師堂の始まりで今に至ると。


そしてお隣の大師堂については…



要約しますと、お大師様が四国を廻っていたとき、平等寺から土佐街道を通りこの先の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住むという弥谷(いや)渓谷に足を留めた。
そしてそこを奥の院修験(しゅげん)の場と定め厳しい修行の末に即身成仏を唱え如意輪穴観音と七不思議の霊跡を遺されたと。


どちらもこの先にある福井ダムの建設にともない元の位置からは移動しています。
七不思議もそのいくつかはダムに沈んだとのこと。


道路は交通量が多いので要注意です。
トンネルを抜けた先に弥谷観音の案内看板が目に入ります。




「いやだに」と書かれていますが「いや」が歴史的な読み方だと思います。


ダムにかかる橋


名前の由来が素敵です


七不思議を見るために横道に入ります。


夫婦地蔵は痕跡分からず

笠地蔵はちゃんとしてます


日天(にってん)・月天(がってん)は先ほどの橋の説明からすればこれはレプリカですね


案内看板にはこの三つだけでしたが弥谷観音へ向かう階段の手前にこんなものが。



これは気になる!行ってみましょう。



これが穴かな?


草木に埋もれた石垣や燈籠(とうろう)


手水鉢(ちょうずばち)もあります


お?なんだか不思議の重なっている巨石



これがゆるぎ石で間違いないだろう


なにも説明書きなどがないのでいまいち消化不良ですが、まあいい探検でした。


一旦谷へ下りたので階段を上り道路へ出ます。
ほぼすぐの目の前に弥谷観音の入口とその前には広場があります。

プレハブは納経所ですが無人です




というわけでここが二十二番平等寺奥の院である『弥谷観音』です。




ゆるぎ石のレプリカ








御朱印はどうするのかということですが、先ほどのプレハブに管理寺の電話番号が書いてありますので電話してください。
ご住職の予定次第なので、こちらまで来ていただけるのかこちらから赴くか、その日のうちにいただけるかどうかは要相談です。


確実にいただくためにはあらかじめ電話をしておきましょう。

管理寺は来た道を戻る方向にあり弥谷観音からそう離れてはいません。
阿波福井駅の近くです。

真光寺
阿南市福井町土佐谷4
0884-34-2686


私は時間的にこの日は無理なので明日の朝にお伺いする約束をしました。



《おまけ》
この弥谷観音は6年前のお遍路で最後の最後に訪れた場所なのです。
結願(けちがん)して徳島駅に戻ってから電車に乗りやってきました。
なぜその様なことになったのか。

お時間ありましたらその理由を当時のブログ記事でご確認ください。


なぜ最後にわざわざ弥谷観音に!?
その一連の記事はこちらから!
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フードセンターもりの下あたりにローソンがあります


足跡がバグっていますがたしかにうろうろしてました






今日の動画はこちら!
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