さいとうひろおブログ

夢と希望と借金しかない。千葉県の実家から沖縄目指して歩いてます。自分探しではなく、探した結果見つかった答えがこれだった。

【44日目】立江寺〔非公認奥の院〕 拳正寺、取星寺…他

6月13日(木)


昨日は1日お休み。
夜は大通りから少し奥にある川沿いの東屋で就寝。




住宅に囲まれているわけではないので人通りもなく車も通らない。


ベンチは幅も長さも十分で屋根が日除けにもなってくれる。


快適すぎて10時間寝ました


Googleマップを見るとすぐ近くに高評価のラーメン屋さんを発見したので行ってみる。


少し不安になる外観




中華そば『木具屋』


招き猫が出てると営業中の印


肉入りでも安い


いろいろ自由


暖簾をくぐるなり「大盛りにしときますね!」と大将。


わかってらっしゃる。




肉入りで大盛り750円。


評価通りスープが絶品! 


量や味の濃さで「食べた気にさせる系」のラーメンとは違う、本当に美味しいラーメン。


久しぶりに堪能しました(^人^)


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今日はまずはこちらのお寺を参拝。





宝珠山 拳正寺(ほうじゅさん けんしょうじ)』


ここは十九番立江寺奥の院とされていますが、立江寺清水寺を唯一の奥の院として拳正寺を認めていません。


拳正寺が奥の院として知られている理由は松浦武四郎という人物によるものです。


松浦武四郎(まつうらたけしろう)

江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家、浮世絵師、著述家、好古家。

蝦夷地(えぞち)を調査し「北海道」という名前を考案した。



彼が19歳のとき(1836年)に四国八十八ヵ所霊場を参拝し、その記録をまとめた紀行文を1844年に『四国遍路道中雑誌』として発表しました。


その中に拳正寺が立江寺奥の院であるとの記述があるそうです。


八十八ヵ所霊場でさえ歴史的に変遷していますので奥の院も言わずもがな。


いろいろな「事情」もあるのでしょうから深く突っ込むことはせず心の赴くままに参拝することにします。







「大悲の笑み」とあるのにご本尊は観音様ではなく地蔵菩薩様というのが気になります。
大悲(だいひ)とは観音様のことなので。









お大師様も訪れて観音様をお祀りされています。


観音山という名前からしても観音様に縁の深いお寺だと思いますが、ご本尊様は地蔵菩薩様です。やっぱり気になる。





本堂の裏山には墓地が広がっていますが、その周辺に観音様の石像がいくつもあります。


繁った草木に隠れていますが結構な数あります。
ミニ四国のようにぐるっと参拝できるような道も見受けられるのですが残念ながら保全されていません。






隣接して羽浦神社があります。
集会所や公園もありこの日は地元の人たちが多くいらっしゃいました。





小さくて読めない(見切れてる)のでざっくり説明しますと、昔ここ一帯にあった神社23社を合祀してあるそうです。


神様いっぱい狛犬いっぱいの神社でございます。


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お次はこれまた認められざる立江寺奥の院、取星寺を目指します。





取星寺へ行く道はいろいろあるのですが、旧遍路道として「阿千田峠」が趣深いとの情報があったのでそちらを通ります。




と山道に差し掛かってすぐこんな鳥居が現れました。


名前の扁額もなく余計に気になりますね。


坂を上った左にお社



この紋はなんだろう


右へ進むと祠があり行き止まり


道は真ん中の奥へ続いています。
すぐ二つ目の鳥居が見えてきます。




ちゃんと鳥居に建立の年月日や扁額もありますし狛犬様もいます。
写っていませんが手水石もあります。




『尾上神社』
「おのうえ」でしょうかね。




これだけですが紙垂(しで)はキレイなので地元の方たちがちゃんと管理しているのでしょう。


道を戻ります。






また別れ道のご案内


新四国(ミニ四国)もあるようだ


阿千田橋というところの下にたどり着くとギャラリーになっています。



たくさんの絵馬と資料の掲示





橋の上に行ってみますと、これより奥は遊歩道となっていました。





橋の下の道を行くか遊歩道を行くかですが、お遍路地図が示すルートは遊歩道から山の中を通って取星寺へ向かいます。


ところが私はよく確認せず橋の下の道を進みました。


そうすると一旦麓の集落へ出て、そこからまた新四国の終点である八十八番から辿るルートで山に入っていきます。


看板を見落として奥まで行ってしまった



八十八番です


そんなにキツイ道ではありませんのでサクサク登っていきます。




お寺まで中間より少し先にある展望広場。




「○○聖山遥拝所」と読めるので高野山のことでしょうか。




増吽(ぞううん)上人(しょうにん:偉い坊さん)はお大師様の再来とも称えられる立派なお坊さんです。
取星寺にも関係があります。


少し先に三宝荒神(さんぽうこうじん)の奥の院がありました。


三宝荒神がこの先にあるということですね。





また少し先には取星寺の縁起ともなる「落ちた星が引っ掛かっていた松」の跡がありました。




新四国をたどりながら登って下りてやっと境内が見えてきました。



これは珍しい制服(軍服?)姿の方と並ぶお大師様




下りてきたところは三宝荒神の敷地です。
一旦鳥居の外に出たところに案内看板があります。





『星三宝荒神とあります。


本殿です




七福神の福禄寿(ふくろくじゅ)様も奉られています


増吽上人の功績が書かれています


この本殿のお奥に取星寺の大師堂があります。
不思議な配置です。




これまた岩壁に埋まっている珍しい大師堂てすね。


お大師様以外にもいろいろな神様がお奉りされています


戻って三宝荒神の奥にはまた別の神社。





元は取星寺と一体であった『妙見(みょうげん)神社』。
後に『明現神社』と改称されました。


ここにも取星寺の縁起が書かれていますね。
「太竜の嶽」とはこの先にある二十番札所『太龍寺』がある山のことです。


そこで妖星(ようせい)が現れました。
妖星とは災いを引き起こす悪い星という意味ですが、これが何の比喩なのかはよく分かりません。


とにかく遠く離れた山で星を祈り落としてそれが落ちた場所が妙見山だったというわけです。




明現神社の隣がお目当ての十九番奥の院
妙見山 取星寺(みょうげんさん しゅしょうじ)』
です。





こちらの縁起はもう少し詳しく書かれていますね。
増吽上人のことも書いてあります。


ここに新四国の一番かあります




立派な蘇鉄(そてつ)の奥に本堂があります。




もう17時を過ぎていたので直接御朱印はいただけませんでしたが、書き置きがあるのでそれをいただいてお寺を後にしました。




これで今日の参拝は終わりです。
後は次を目指して良きところまで進みます。


山を下りる途中のお地蔵様。欠けた頭を丸い石で代用してニコニコ笑顔です(^^)


道路が那賀川(なかがわ)沿いの堤防と合流するところにお社があります。





大変な自然との戦いの歴史です




川を見つめるお不動様



こちらは集落の神社かな?


紫陽花が綺麗です







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