6月11日(火)
昨夜コンビニの前でおにいさんからコーヒーのお接待いただきました(-人-*)
本日は曇り。でも雨降りそうです。
コンビニから恩山寺はすぐ近くです。

廃線の名残でしょうか。敷地主の趣味?
寺の入口となる道にある民宿『ちば』。
名前に親近感を覚えます。

民家の脇に旧遍路道があります。



右側は山ですがそちらにも道があります。


丁石があり「四丁」とあります。
昔は山を越えてこちらの道に出てきたのですね。
旧遍路道は草が繁っていますが歩けないほどではありません。
ぼろぼろの山門前に出ます。

くぐった先に石柱があります。

お大師様のお母様に由来があります。
今の遍路道は先ほどの民家の脇道に入らず車道を上がってくる道です。

山門の前は通りません。

寺へは車道が続きますが右側の山肌に旧遍路道が残っています。

境内への入口前には大きなお大師様。


十八番『母養山 宝樹院 恩山寺』
(ぼようざん ほうじゅいん おんざんじ)


お母様が剃られた髪があるそうです

上が本堂です

『公園が工事中』ということですが立派なお堂があります。
古くて危険だから立入禁止なのかと思いましたが、納経堂の方に聞いたところ「新しい本堂」だそうで、現在引っ越し中とのこと。
といってもお堂が建ってからだいぶ経っており、しかも完全な引っ越しにはあと4、5年かかると言われているとか。
お参りを終え次の札所に向かうため来た道とは違う車道を下ります。
昔はもっと高い位置から道が伸びており谷を通って山を下りていたが、嵐などで道が崩壊し通れなくなった。
それで少し下ったところの酪農家の方の私有地を通らせてもらう形で新しい歩き遍路道を整備したのだという。
古い遍路道は現在90歳くらいの方なら通ったことがあるくらいの昔だそう。
その話を聞いて初めてこの立て看板の意味が分かりましたね。
山に入るとこんな看板が。


くねくね山道を下りきるあたりで番外霊場が現れます。

「おむつき」とはオムツのことです。
お大師様がオムツを納めたことから名がついたそうですが、なにゆえオムツを納めたかは少し調べてみてもわかりませんでした。
ここはおむつき堂としてよりも『紫雲山 釈迦庵(しうんざん しゃかあん)』としての名の方が有名です。

こちらでは弦を張ってます
釈迦庵にはとても珍しい「仏足石」があります。
仏足石とはお釈迦様が入滅(にゅうめつ)された際に石に残されたという足型です。



このカバーの下にあるのが仏足石です。
保護目的のカバーですが汚れて何も見えなくなっています。残念。



さあ、ここを過ぎたところに次の札所への案内立て札があるのですが、どうしても引っ掛かる「心残り」があります。
あの竹林の中から伸びていた道の先がどうなっているのか気になってしょうがありません。
まだそれほど離れていないので戻ってみます!


結果はご覧のとおり、あの丁石から登ってすぐに行き詰まってしまいました。
というわけで、Googleマップで位置関係を確認して「このへんに道ありそじゃね?」と思われる山の反対側へ回り込んでみます。

下にある大きい建物は新本堂です。
その奥にある赤い屋根がとても気になるのです。
この新本堂がある敷地は元々公園だったようです。
通行止めのバリケードに「公園整備中(みたいな)」言葉がありました。
公園の奥にある赤い屋根。
何かのお堂でしょうか。
ただ気になるというのではなく理由があります。
先ほど本堂の右脇に「地神様」があると書きました(上に戻ってみて)。
これを見たとき私は「なんでお寺なのに神道の神様の名前が彫られた石柱があるのだろうか」と疑問を持ちました。
しかし疑り深い私は「実はどこかに神社の痕跡があるのでは?」と推測したのです。
地神様については後ほど調べたところ、お寺にあってもおかしくないものだと分かりました。これはまた別記事で触れます。
ただこの時私は赤い屋根に「隠された神社の痕跡」を期待しワクワクしていました。
裏山を探せば旧遍路道が見つかり、あわよくば赤い屋根にまで辿り着けるかもしれない。
そうして行ってみたところあっさり山に入る道がありました。
ありましたが登っていった先で道は途絶えました。
旧遍路道はここからではなかったかと思いつつ、そのまま道なき山肌を登って赤い屋根にアタックすることにしました。
足元はおぼつかず斜面も急ですがなんとか這いつくばって登ります。
そうしたらこんなものが現れました。
手すり( ̄▽ ̄*)
これは「忘れ去られた遺跡」への道しるべ!
目的の赤い屋根は下っていかなければなりませんが、上にも続いているので一応上にも行ってみましょう。
私は赤い屋根はお堂でその上の構造物は電気関係の廃施設かなと予想していました。

なんか見えてきた。

手前は公衆トイレ。奥はなんだ?

展望台だ!

なんと恩山寺の山の頂上には展望台があったのです。

長椅子が一脚。
座れば眼前に広がるはずの景色は残念ながら木の枝葉で邪魔されてしまっていました。
しけし柵に沿って周りを見てみたら階段の反対側位置にこんなものが!

なんと剣山大権現です。


剣山信仰の篤い地元の会社かなにかでしょうか。
とにかく思わぬ大収穫に興奮しました!
それでは下っていきましょう。
赤い屋根の正体とは?



この休憩所の面白いところは「下から昇る階段がない」ことです。
ここはもしかしたら古い登山道から下りてきて恩山寺へ行くか展望台へ行くかの分岐点だったのではないかと思います。
この休憩所から新本堂の敷地へ出る道はもはや無いにも等しい有り様です。
新本堂が開かれてもこの道は復活しないでしょう。
私のように好奇心に駆られて進む人だけが見られる景色です。
恩山寺も心行くまで探索できたのでやっと順路へ戻ります。

ここの伝説も怖くて不思議です。
簡単に紹介すると、お京さんという女性が浮気相手と共謀して夫を殺し、その後身分を偽って遍路をしていたら立江寺境内の木に髪が打ち付けられ四苦八苦。
泣いて懺悔すると頭皮が剥がれなんとか助かり、以降は改心してここで生涯を過ごした、ということです。
こちらはもともと遺跡(小さなお堂)だけだったところに立派なお遍路小屋が建てられました。
街の中にありながら大きな建物がぎゅっとまとまっており緑も多く威厳が感じられます。
この日はあいにくの強い雨模様でゆっくり見られませんでした。
このあとは順路から外れて銭湯とコインランドリーに向かいます。
徳島といえば「あらたえ」ですね!
館内にはあらたえやその他徳島起源のものが取り上げられた新聞記事の切り抜き等が掲示されていました。
ではまた!
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