さいとうひろおブログ

夢と希望と借金しかない。千葉県の実家から沖縄目指して歩いてます。自分探しではなく、探した結果見つかった答えがこれだった。

「教育」は「教える側の都合」ではない

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身体に色や形があるように、心にも色や形がある。 


肌の色や身体の大小や障害の有無で差別しちゃいけないよね?


黒い人に「白くなれ」なんて言うのは暴言中の暴言だし、背の低い人に高いところの物を取れなんて言ったら嫌がらせ以外の何物でもないよね?



なのに何で「弱い人」に「強くなれ」っていうのは「教育」だったり「励まし」なのかね。



「強くなれるかどうか」は一つの可能性として模索していくものなんだ。



心は目に見えない。

だから可能性としてあらゆる色や形を想定して模索していくという作業が必要なんだ。



「可能性」であって「理想」ではない。
「想定」はするが「決めつけ」はしない。
「模索」はするが「創作」はしない。




「教育」は粘土をこねたり木や石を彫ったりして理想形を作りあげる作業とは違う。


土の中から化石を掘り出すような「相手ありき」の慎重で繊細な作業なんだ。



教育は「彫刻」ではない。

教育は「発掘」だ。