さいとうひろおブログ

夢と希望と借金しかない。千葉県の実家から沖縄目指して歩いてます。自分探しではなく、探した結果見つかった答えがこれだった。

美味しい唐揚げを食べてまさかこんなことを思い出すとは…

どーもどーも。



今日は近所にある美味しいと評判の唐揚げを食べてきた。


「ジョニー」が誰かは分からず…


日曜日のせいか夕方前だというのにお目当ての『ジョニーのからあげ』げは売り切れていた。
お店の人も自画自賛の人気商品だ。




それでも他の部位の唐揚げはあったので注文。
作り置きではなく揚げたてを提供。




紙袋は湿気が閉じ籠って衣がふやけないよう開けっ放しで持たせてくれるこだわりだ。




店内に飲食スペースがないので店を出てすぐさま熱々を立ち食い。




美味しい。


たしかに美味しい唐揚げだ。


とその時。


私はふと思い出したのだ。


子供のころ、母が家で作ってくれた唐揚げを。


言わずもがな子供にとって唐揚げはごちそうだろう。


晩ごはんが唐揚げだという日は嬉しかった。


なにも特別な唐揚げではない。


普通の鶏肉に、普通の唐揚げ粉に、普通の油だろう。


それでも美味しいのだ。


たまに母が「ちょっと味見してみて」と言うので食べてみると、あきらかに味がおかしいときがあった。


「お母さんこれ変な味するよ」と言うと「おー、やっぱりダメだったか。お肉が賞味期限切れてたんだよね。もったいない。」


母はお肉が食べられないので味見ができないのだ。



『データ(賞味期限)など鵜呑みにせず、勝負は(食えるか食えないかは)やってみなけりゃ(揚げてみなけりゃ)わからないじゃないか!』



腹を壊したことはない。たぶん。


家の唐揚げが思い出深いのは揚げてたが食べられる晩ごはんのことでも、腐りかけを食べたことでもない。


唐揚げが食卓に上った翌日の、学校から帰ってきてから食べた昨晩の残りの冷えきった唐揚げが最高に美味しいことなのだ。


これは「冷めても美味しい唐揚げ」ということではない。


単純に普通の唐揚げが普通に冷めているだけなので、衣はべったりしているしお肉も固くなっている。


しかしこれが美味しいのだ。


私は美味しいと感じていた。


なぜだろう。


理由はわからない。


ただ、今日まさに美揚げたての美味しい唐揚げを食べて思い出したのは、母が作ってくれて翌日になって冷めてしまった唐揚げなのだ。


たぶんこの先の人生であれより美味しいと思える唐揚げに出会うことはないだろう。


だって勝ち目がないでしょ。


「冷めた普通の唐揚げ」が美味しいって言っちゃってるんだから。


最高の食材で揚げたてを提供されても「うまーい!」ってだけで終わっちゃうよ。


最高の唐揚げは所詮、冷めた普通の唐揚げを思い出させるための役割しか果たさないのだ。







思い出って強いね。
思い出って怖いね。







っていうお話でした。