さいとうひろおブログ

夢と希望と借金しかない。千葉県の実家から沖縄目指して歩いてます。自分探しではなく、探した結果見つかった答えがこれだった。

生きづらさ、息苦しさに寄り添う

どーもどーも。

 


今日は「生きづらさ」や「息苦しさ」の原因である「執着心」について考えてみました。f:id:rwsnc892:20181210143529j:image

私は「自分の人生」を優先順位の一番に置いている。


家族、友達、恋人、仕事、お金、趣味。


私の人生はこれらのためにあるわけじゃなく、私の人生の中にこれらがあるのです。


これは順番の話です。


まず自分を大切に思う。


自分を大切に思うからこそその自分が大切に思う家族、友達、恋人、仕事、お金、趣味のために心身を尽くすことができるのです。


逆に自分を大切に思えない人はそれらを大切にしているようでその行為は「見返り」を求めてのものであったり親密さは「執着心」の表れであったりします。


見返りが望めなくなった途端に牙を剥くか冷めて離れるか、または執着し続けてぼろぼろになっていくかします。


自分を大切に思えない人というのは「自分を押し殺して生きている人」です。


他人の評価を頼りに生きている人、他人依存の人です。


自分に自信がないから素直になれず、自分で自分に「いいんだよ」と言ってあげられないから他人に「いいんだよ」と言って認めてもらいたいのです。


他人の評価基準をなぞり、他人の評価で自分を上とも下とも思える。


そういう人でも年齢と経験を重ねることで他人依存に自覚的になります。


「自覚する」ではなく「自覚的になる」と表現したのはまだ直視できていないからです。


自分が他人依存だと感じつつ、認めるのが怖いのです。


認めてしまえばいままでの自分の人生を否定することになると感じているのです。


具体的にこういう人の特徴として「常識的で仕事がよくできる人」が挙げられます。


仕事をきちんとやる理由が「お金をもらっている以上はプロ」とか「仕事だから」とかの判を押したような一言の人。


正論ばかりで融通の効かない人。


当たり障りのない教科書通りの正解しか言えない人。


優等生。いい子ちゃん。ロボット。


「楽」ですよね、考えなくていいから。


でも「苦しい」ですよね、本当の自分じゃないから。


人間が素直になったら百人百通り違うわけです。


そしたら一般平均化された「常識」と摩擦が起きるのは当然なのです。


なのにそれを怖れて素直な自分を出せないでいる。


こういう他人依存の人はなまじ他人(世間)からの評価が高くそのことに自尊心もあるためどんどん依存から抜けられなくなっていきます。


だからといってこういう記事を読んでも「自分のことではない」とかなり自然にスルーします。


もし面と向かって指摘したとしても先ほど書いたように自分が他人依存だと認めてしまうのが怖いのでのらりくらりとかわすかヒステリックに反論したりします。


それもまた言い返す余地のないような正論でね。


なぜこういう他人依存の人間になるのかといえばそれは「幼少期の育ててくれた人との関係」です。


親もしくは親代わりに育ててくれた人ですね。


というか人間の性格の根っこはみんなこれです。


だからこそ根が深く「見つめ直す」ことが難しいのです。


他人依存は執着気質。 


よく尽くして評価もされても不安で満たされず心は渇いてゆく一方。


自覚的でありながら認める勇気もない。


自分で自分を大切に思えず自分の人生を豊かにしていくことに優先的になれない。


自分の周りにいる大切にすべき人も大切にできない。


執着心は何も良いものを生み出しません。 


執着心は「積み重ね」を生み出しますが、これは「良い積み重ね」ではありません。


「良い積み重ね」は自分の肥やしになるものですが、執着心が生み出す「悪い積み重ね」は単なる足かせでありしがらみです。


先ほど書いた「なまじ高い世間(他人)からの評価」のことです。


仕事でも人付き合いでも、ある程度評価はされてしまうのでしがみついてしまうんですね。


泥沼です。


自縄自縛(じじょうじばく)です。


本当にこういう人は見ていて痛々しいです。


私はこの記事で執着心に囚(とら)われている人を高みから非難したり哀れんでいるわけではありません。


これは他ならぬ昔の私自身のことなのです。


この記事は昔の自分を思い浮かべながら、今までに出会ってきた同じように苦しんでいる人達に向けて書いています。


これが誰か、他にも苦しんでいる人やそういう人がそばにいて心を痛めている人にも届けばいいなと思って書いています。


これは私のささやかですが切なる祈りの記事です。


祈ることしかできないのです。


首根っこ捕まえて説教してもダメなのです。


誰かの人生を変えることは、その人の苦しみにひたすらに寄り添う忍耐力と覚悟と信頼関係がなければできません。


生半可に口先だけで変えようという考えはかえって毒なのですっぱりと関わらない方がお互いのためです。


私は今の私にできることをしたい。


こういう思いを記事にすることで誰かのなにかのきっかけになれば幸いです。


ほんの小さな足掛かりでも、そこから一歩踏み出せたなら進歩です。


もしそのお手伝いができたのなら、昔の自分も報われます。


どうか誰か一人にでもこの祈りが届きますように。

 

したらな!