さいとうひろお

夢と希望と借金しかない。千葉県の実家から沖縄目指して歩いてます。自分探しではなく、探した結果見つかった答えがこれだった。

【34日目 番外】法谷寺奥の院『タタリ谷 常厳寺』

『タタリ谷 常厳寺』  


名前からしてヤバい。


眉山の北側の麓はこんな道です


墓だらけ


上記2枚の写真の間に寺の入口はあります







こんなに墓が雑然と敷き詰められている場所は見たことない。 


林の奥を見渡せばもっとある。


ほとんどは欠けたり倒れていたり苔むしている。


一言で「異様」だ。
 

スタジオジブリ作品『天空の城ラピュタ』のロボット兵の墓みたいな雰囲気。


寺の名前がわかるものが一切ない。


山門もお堂も庵もない。


縁起が書かれた看板もないから由来もわからない。


ネットで調べてわかることも少ないがそのどれもが口伝(くでん)や憶測であり確たる証拠がない。


奥へ進むと石垣が




一段上がった所に異彩を放つお墓がある。


阿闍梨(あじゃり)堅雄」
阿闍梨とは、正しく諸戒律を守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶のことである(Wikipedia引用)。




この全面の紋様はなんだろう?


まあとにかく偉い坊さんであろう。
しかし法谷寺と常厳寺にとってこの人物のよい話は検索しても出てこない。


近くにある石碑


こちらも同じく。しかし奇妙な線が走っている





よく崩れないで残ってるな








中央にかなり大きい塔が建つ。




『大隨求菩薩(だいずいくぼさつ)』






墓の後ろには曼陀羅(まんだら)の石碑。








一体この寺は何なのだ?
そもそもここは「寺」なのか?
寺らしき建築や跡がみられない。


そう、ここは『聖徳太子の御廟(ごびょう:墓)』という説があるのだ。


その墓を前述の阿闍梨堅雄が掘り返し隨求塔を建てたと言われている。


また、この阿闍梨は法谷寺にあった観音像二体を持ち去り奈良の法隆寺に移したと言われている。


現在この二体は国宝に指定されているが、これらが元々法隆寺にあったものとは言い難い事実がある。


この観音像は1884年アメリカ人の東洋美術史家のアーネスト・フランシスコ・フェノロサ岡倉天心の調査によって寺の奥から引き出されたものなのだ。


観音像はお堂に安置されていたわけではなく、布でぐるぐる巻きにされて奥にしまわれておりとても寺宝の扱いとは思えない状態だった。


一体の観音像の名前は『救世(ぐぜ)観音』だが、これは法谷寺の『救世山 峯薬師』の観音様だから『救世観音』なのだ。


法谷寺は法隆寺よりも前に造られている。
観音像も聖徳太子の墓も「価値あるもの」は法谷寺と常厳寺にあった。


それをどんな思惑があってか欲しがる人間がいてもおかしくはない。


事実は藪の中だ。


しかし断片的に残された記録がその影を浮かび上がらせる。


聖徳太子はその生涯やそもそも存在したかについても謎の多い人物である。


後の人間の私利私欲のために


改変された歴史、隠された歴史などいくらでもあるだろう。


『歴史はバレなかった嘘でできている』


日本とは、日本人とは。











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【34日目】十七番、安産祈願の地蔵院、聖徳太子ゆかり?の法谷寺、狸を奉る不動院!

どーもどーも。


6月3日(月) 34日目です。


昨日は一日お休みしました。


オフの日用の白Tシャツと海パン


5月27日からコインランドリーに出会えずとうとう着替えが無くなってしまったのですが、おととい打ち終えた十六番周辺は久しぶりに賑やかな街だったのでコインランドリーを探してまとめて洗濯できました。


今日は気持ちよく出発できます。




十七番『瑠璃山 真福院 井戸寺
(るりざん しんぷくいん いどじ)









大師様は杖だけで一晩で井戸を掘ります。




雀大師





ここから進路は徳島駅に向かいます。
出発から1ヶ月以上経ちましたが、位置的には戻ってきてしまいます。


その途中にある番外霊場に立ち寄ります。







写真では記録していませんが、石灯籠のあたりから山に入っていく道があったので行ってみたんです。


何も表示がないのでどこまで行くのか、何かあるのか分からないものの道はあるのでとにかく進みます。


Googleマップを見ているとどうやら峠越えの車道に出そうです。


案の定少し登ったあたりの車道にでましたが、この道は「地蔵峠越えルート」と呼ばれ距離的に次の十八番へ向かう最短距離のお遍路道なのです。


旧お遍路道の名残なのでしょう。


そんなこんなで戻ってきました。

番外霊場『如意山 地蔵院』
(にょいさん じぞういん)








ここは安産祈願の寺として有名なのです。










よだれ掛けが納められています




御朱印とお接待でお菓子をいただきました。




次へ行きましょう。




参道脇には無数の墓が並び古いものは山肌にまで及んでいます。


山神社や八幡神社もあり雑然としていますが、全てを含めた敷地の規模の広さから包み込まれるような呑み込まれるような一種異様な圧を感じます。


小西国三十三もあります


大きな大師様




『救世山 大乗院 法谷寺』
(ぐぜさん だいじょういん ほうこくじ)

石碑にあるよう昔は『救世山 峯薬師(みねやくし)』の別當(当)寺でありましたが今は法谷寺しかありません。


別当寺とは神社を管理する寺のことです。





なかなか文体も使われている言葉も知識が無い人にとっては難しいです。


他の方のブログを見てみるとかなり重要なことが書かれているようです。


文中にもあるように聖徳太子と関わりがあり、公には明らかにされない(認められない)、史実を覆してしまう秘密が隠されているとかないとか…。










ここでは御朱印がいただけるようなのですが、家の中から恐ろしい怒鳴り声が2、3度聞こえてきたためやめました。


一人の声しか聞こえませんでしたが、寺の人なのか客人なのか分かりません。


とにかく尋常ではない怒声でした。コワッ


寺を後にして次はすぐ近くに法谷寺の奥の院があるので行ってみます。


が、ここは別記事で独立して書きます。


さらに先へ進みます。


大通りに出ず眉山の麓を沿うように歩きますが、本当に神社と寺が多いです。


眉山が特別な山であることが伺えます。


もうすぐ駅近くかなというところで気になる看板を見つけました。




お不動様とタヌキの組合せはそそりますね。


矢印のとおり左に進むと地元の方が「そっちじゃないのよ、矢印が間違ってるの。書き直さないとね」と親切に教えてくれました。


急な坂が現れました



かなり登ります


谷のさらに上


車も来れないこんな上に立派なお堂兼住居。青い鉄組は山門の代わりかな


『佐古不動院とあります。




奥に行くと広い敷地に白亜(はくあ)のお堂群が!








どれも綺麗です。






少し間を置いて最奥にお堂があります。



かわいい




こちらもとても綺麗


徳島と香川には特に狸伝説が多いように思われます。


なぜ狸が人を化かす妖怪程度ではなく神として奉られるまでになったのか興味がありますね。


帰りに先ほどの看板を見てみると、




直されていました♪


このまた先にも狸を奉った神社がありました。





先ほどの狸の説明書きにあった臨江寺(りんこうじ:近くにあり)の「お松一族」のお松さんですかね。


女狸に化かされてみたいわ!


キ○ィちゃん?






というわけで徳島駅に戻ってきました!




といっても友人のお接待やブログ休憩期間中などで今までに5回は来てるんですけどね。














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【32日目】建治寺の起源の謎!観正寺、十三番と元札所、新奥の院、十四と奥の院、十五、十六まで!

どーもどーも。


6月に入りました。
6月1日(土) 32日目です。


今日は一旦戻ります。 


昨日建治寺を打ち終えて山を下りるときに遍路道を通らずにコンビニへの近道を進んだのですが、大事なお寺を見過ごしていました。


それは『元』建治寺です。




『瑠璃山 常光院 観正寺』
(るりさん じょうこういん かんしょうじ)



蔵王大権現






小さな集落の中の小さなお寺ですが、その沿革略記にははっきりと書かれています。




蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が建治寺を眉山に移し、その跡地に観正寺を建てた」


これは建治寺の縁起には書かれていないことです。


初めからあの山奥の寺に建治寺があったわけではないのです。


これを書き始めると収拾がつかなくなるのでまた別の機会に。





本堂です。ご本尊は薬師如来




古いお墓がたくさんありますがその中に、蜂須賀公の朝鮮出兵の際に家臣の一人が連れて帰ってきた朝鮮人女性のお墓があります。




左下の字が隠れてしまっていますが「高麗館女」と刻まれています。


10代の初めに連れてこられ「お福」と呼ばれたこの女性は、賢い人でいろいろことを人に教え土地にもなじみ85歳くらいまで生きたそうです(他の方のブログ参考)。


どのような経緯で連れてきたのかは分かりません。


出兵先で10代の女性を円満に知らない国に連れてこられるとは考えにくいですが。


亡くなるまでの間、故郷に帰れたことはあったのでしょうか。


北朝鮮による拉致被害を訴え続ける国民としては複雑な思いです。


彼女が言い伝えどおり幸せな生涯を送ったことを願うしかありません。


敷地内には韓国の多宝塔のミニチュアもありますが、これは徳島市内の方から引き取ったものだそうです(同参考)


観正寺を出て大通りへ向かいます。


集落への入口には奥の院を示す石碑が。





ね?彫ってあるとおり奥の院は「建治寺」ではなく「建治瀧」です。


初めからあそこに建治寺があり奥の院とされていたわけではないのです。


そして小四国の一番もここにあります。





たぶん四国中にある小四国の中で一番広範囲に設置されている小四国なのではと思います。


奥が集落


さあ、戻ってきた道を戻ります。


朝出発したコンビニを通りすぎしばらく歩くと狭めの車道を挟んで右側に『一宮神社』そして左側に十三番札所の『大日寺』が現れます。


まずは元十三番札所の『一宮(いちのみや)神社』から。




車道に面した入口より先に回りこみます。



太鼓橋です


鳥居です



今までで一番はっきり「角」が生えている狛犬さん




お馬さんの像も2体あります。お腹の下をくぐれます




拝殿奥の本殿は重要文化財である。




ヒエッ


反対側から


本殿の左側にはお社がたくさんあります


神主さんに説明してもらいました


次は現札所へ。





十三番『大栗山 花蔵院 大日寺
(おおぐりさん けぞういん だいにちじ)







神仏習合の時代は一宮神社の事務所みたいな位置付けで納経所だったため『一宮寺』と呼ばれていたりした。


名前のとおりご本尊は大日如来であったが神仏分離で神社のご本尊を大日寺に持ってきたときに大日如来は脇仏になっのだとか。


元からいる神様を優先しないと怒っちゃうと思うのですが。


そしてここから少し東へ行くと奥の院があります。



高台のふもとにかすれた掲示板があります


十三番新奥の院『如意山 國中寺』
(にょいさん くになかじ)




三十三観音の十三番でもあります。







奉られているのは『遊戯(ゆげ)観音』




と、『波切不動尊


脇にある階段を上ります。


上にあるのは『國中神社』です。




集会所を兼ねています。
上ってくるの大変だよ。








正面の階段を下ります。






昔はたいそう賑わっていたと書いてあります。
ここも大日寺と同じで昔は一つの神社だったのが神社と寺に別れたんですね。


國中寺の御朱印大日寺でいただけますので戻ります。


國中寺は普段は無人ですが毎月15日に法要があるため前日には掃除しにやってくると聞きました。


いつから新奥の院なのかはそのとき納経所にいた女性は分からないとおっしゃっていました。


以前のブログにも書きましたが、大日寺のご住職は韓国人女性です。


前住職の奥様で跡を継がれました。
八十八ヵ所で唯一の外国籍、そして女性のご住職です。


舞踊家でもあり様々な活動を通して日韓友好を促進されている方だそうなので、是非一度お話してみたいです。



さて、ここから鮎喰川(あくいがわ)を渡ると札所の間隔が狭いのでテンポよく廻れます。


特に面白いことも少ないので写真メインでいきます。


十四番の奥の院はすぐ隣の敷地にあります。




裏手に回って八幡神社の鳥居をくぐり、階段の手前から右の坂を上がります。


『生木(いきき)地蔵』



木の中に彫られています







十四番奥の院『延命山 慈眼寺』
(えんめいさん じげんじ)




篇額(へんがく)に『十一面大悲(だいひ)』とありますが『大悲』とは観音様の別名なのです(十四番の納経堂で教えてもらいました)。






オシャレな造りのお宅がありますが、日中に人はいないようです。


では十四番に行きましょう。







十四番『盛寿山 延命院 常楽寺
(せいじゅさん えんめいいん じょうらくじ)






ご本尊が弥勒(みろく)菩薩なのはここだけです。





ここには猫ちゃんがいます。
人をまったく警戒していません。



猫って神っぽいよね


次へ向かって歩き始めてすぐこんな道が。




たぶん本来の道。


上がってみますと、




奥の院は左手にあります。


お社と奥へ続く道があります。





こんなところにも小四国が!


行きはしませんでした。


途中に一際派手な地蔵院。
八祖大師も奉られています。




はいすぐ次!




十五番『薬王山 金色院 国分寺
(やくおういん こんじきいん こくぶんじ)








仮本堂とされているお堂に奉られているのは烏瑟娑摩(うすさま)明王




ここの納経所には面白い張り紙が。





せか・おわ




ご丁寧に英訳まで。
よほど気に入られたんですね。


はいすぐ次!




十六番『光耀山 千手院 観音寺』
(こうようさん せんじゅいん かんおんじ)
※「かんおん」と発音します





普通は「観音」で「かんのん」ですが「観世音」だと「かんぜおん」です。


この札所は「かんおんじ」です。





今日のブログも長かった(汗)














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【31日目】心温まるお接待、6年ぶりの元気な姿、十三番奥の院『建治寺』

どーもどーも。


5月31日(金)  31日目です。




昨晩は旅館、の前の農協の敷地で寝させてもらいました。


身支度をしていると一台の車が止まって中からおかあさんが声をかけてきた。


「お遍路してるの?朝ごはん食べた?」


私がまだだと言うと「ちょっと待ててね!」と言って車は来た道を戻っていった。


しばらくしたらおかあさんが戻ってきて食料が詰まった袋を渡してくれた。




これから出掛ける途中だったろうに、私を見かけてわざわざ家に戻りお接待をしてくれた。


すんげー嬉しいっす!
ありがとうございますm( )m


今日は十三番の前に十三番の奥の院を目指す。


少し先の川沿いの道から坂を上がって歩き遍路道に入ると立札が現れた。




上松神社と下松神社。
読み方は調べても出てこない。


行ってみよう。




下松神社はすぐ到着した。




小さいお社が2基と祠が1基。
これだけだ。


これなら上松神社も近いところにちょこんとありそうだ。




…結構歩いたな。




鳥居には『清正大権現』とある。
割りと新しそうだ。




下松神社よりは手入れがされているが、周辺には供え物だったはずの御神酒(おみき)の空き容疑がめっちゃ散乱している。


供えては誰かが盗み飲みしているのだろか。
それならそれでせめてゴミは片付けようよ。


つーかその場で飲んで帰ってるってこと!?





道を戻りルートに復帰する。


歩行者用の潜水橋


何のために、どうやって設置したのだろう



道端に立派なお不動様


神山町阿野(あの)の集落に着いた。
ここに一軒の商店がある。




丸池商店さんだ。


通常のルートであれば十一番の藤井寺から山に入りここに辿り着くまでの間に食料が買える商店は無いので、宿に泊まらないお遍路は食べ物に飢えまくっているのである。


それが6年前の私である。


まさに砂漠のオアシス、地獄で仏とはこのことで、中に入って飲み食いすると生き返った心地がしたものだ。


その時に店のおかあさんと娘さんとお話をして写真も撮らせていただいた。


6年前の私と初代チーバくん


途中から娘さんも参加


思い出深いこの店にもちろん立ち寄る。


おかあさんはまだまだ元気だった。
お歳は90を越えているそうだ。


私が昔の写真を見せてもピンとは来なかった。
まあそりゃ仕方ないことだ。


そのあと娘さんもやってきてまた三人でお話ができた。


話しているうちになんとなくチーバくんを思い出してくれた。


また記念撮影をさせてもらい店を後にした。




おかあさん、元気でいてなー!


橋を渡り歩いていたら古い道しるべと遍路石を見つけた。







矢印は集落の中を示しているが地元の方に聞いたところ草が茂っていて通れないだろうと教えてくれた。


言うことを聞いて地図にあるとおりの旧遍路道を行く。






鳥居が見えてきた。





行ってみよう。




狛犬の手前に人の座像が2体ある。珍しい。




小さいが手入れのされている神社だった。


遍路道は地味な上り坂が続く。





途中雨がぱらつき出したが構わず進む。




十三番奥の院
『大瀧山 宝珠院 建治寺』
(おおたきさん ほうじゅいん こんぢじ)















本堂は扉を開けて上がってよい






奥の岩屋にご本尊が安置されている


本堂へ上がる階段の下から裏手へ行ける。





岩場には役行者(えんのぎょうじゃ)が座す。




岩場は横から上れるがとくに何もなかった。




本堂の向かいには大師堂。





その横に寺の縁起の看板。




さらに横道がある。





「行場」(* ゚∀゚)ワクワク




入口がとにかく狭い。




奥には何体もの像がある。
一番奥までは見えなかった。




敷地内にはこんなお社も。





沖の船の目印になったという灯台


下りは滝の行場がある方から下りる。
古来の遍路道だ。


滝の手前に鉄製の梯子が高く伸びているので上ってみる。




足場が狭くて尻餅をついたまま進む。




祠が一つ。
中には今年の3月付けの納札が一枚。
ベルリンからお越しのお遍路さんだ。


梯子はしっかりしてるけど結構怖い


遍路道には小四国のご本尊と大師像が点々と配置されている。



行場といったらお不動様



滝の岩場にも




しばらく雨が降っていなかったため滝はチョロチョロと流れる程度。


雨上がりに来てみたいものだ。


先ほどの梯子の手前には鎖行場もあり、古来の修行者は麓からの小四国を拝みながら滝、梯子、鎖とそれぞれの行場をこなしながら建治寺へ参ったのだ。





ボロボロの鳥居が昔の神仏習合の名残だ。
ここからさらに下り道は続く。





八大龍王神社は本堂脇から登山道が延びているようだ。


後から調べて分かった。ちと悔しい。


左から出てきました


このあと十三番手前のコンビニで力尽き終了。
時間はあったのだがそれ以上行くとまたコンビニや店が出てくるまで長くなってしまうからだ。
















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【30日目の2】神山町の勧善寺、左手宮八幡宮、鏡石大師

ではでは、前回のつづきです。


山遊びを終えて川沿いを北上します。




ルートのイメージとしては、焼山寺を打ち終えて山の中腹にある集落から東に進むところを、私は南に下って神山地区の番外霊場をお参りしました。 なのでまた山に向かって北上するというわけです。


火事などのときに緊急事態をしらせる半鐘(はんしょう)。
まだ残っているんです


実はわざわざ北上して山に入らなくても道はあるのですが、どうしても行きたいわけがあるのです。




ですよね♡


4つも社寺が密集してるなんて素敵やん。


道路には新しい道しるべが。
 



荷物を置いて坂を登っていきます。













『二竜山 月曜院 勧善寺』でいいのかな?




このすぐ反対側を向くと立派な石垣が目に入ります。




ここは『左手宮八幡宮
みなさんこれ読めますか?


私はそのまま「ひだりてのみや」と思っていましたが、Googleマップのクチコミを見ると「さでのみや」と書いてありました。


ところが、このあと地元のおっちゃんがやってきたのでお話を伺ってみると「さだのみや」と読むそうです!


そして地元の方たちの間で通じる愛称は「あんみゃん」だそうです。


なぜそう呼ぶのかは分からないが昔からみんなそう呼ぶんだと。
なぜに「あんみゃん」w












そして気になる秋葉神社『府中神社』ですが、山に入っても何も見つかりませんでした。なんの痕跡もないのです。


このこともおっちゃんに伺ったところ、やはりここには勧善寺と左手宮しかないとのこと。


ただし「府中」という地名は少し離れたところにあるため、そちらに何らかのお社があるのかもしれないということでした。


これはGoogleマップ先生の誤りですかね。


ちなみに「府中」は東京に同じ地名があり「ふちゅう」と読みますが、ここの読み方は「ふぢゅう」だそうです。


そしてこの先の街にも「府中」があるのですがそこは「こう」と読みます(笑)


勧善寺も左手宮も常駐されている方はいません。左手宮には神主さんがいらっしゃるのですが体調を崩されたため、夏の「輪抜け」と秋の「お祭り」の行事ができなくなったそうです。


こうしてまた一つ文化が消えてゆくのでしょうかね。


他にもいろいろお話を聞かせていただきました。ありがとうございます(^ω^)


さて次に向かうは番外霊場です。
通り道にあります。


ちょっと嬉しいやん


道端に現れました。




ん?これだけ?と思い写真を撮って進もうと思いましたが…



 
下り坂だねぇ。


いたいた♪


石碑にちゃんと右矢印でも引っ張ってほしいですね。



無事お参り


ここから少し歩いたところで川沿いの道に復帰。


ちょうど道の交わるところにお不動様とお社。
何の神様かはわかりません。




山際には阿弥陀堂があります。








ここいらの地名は「本名(ほんみょう)」です。
なぜかカカシがたくさんあります。





ちょっと怖いレベルでたくさんあります。
人が少ないのでいるように見せるため置いているのではと思うくらいあちこちに自然に置かれています。




今日はここまでです。
明日はまた山の中のお寺にいきます。














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【30日目の1】謎の『かさぼとけ』と『剣神社行場』を発見せよ!

どーもどーも。


5月30日(木)  30日目です。


昨夜Googleマップを眺めていたらこんなものが。









(* ゚∀゚)ワクワク



こんな道も示されぬ山奥に、これまた写真もクチコミもなく名前からも何も想像できない『かさぼとけ』とな!?


そしてさいとう大好物の『行場』!


『剣神社行場』なのに付近に『剣神社』は表示されない。


こりゃあ探検だろ!!


さらに麓の集落にはこんなお寺が。





ここらに行けば地元の人に話を聞けるかもしれない。


とりあえずここに行ってみよう。




のどかな集落の奥にお寺、というか庵があった。







西国十七番と書かれているのは六波羅寺(ろくはらじ)だ。


左には長法寺があるが番号は書かれていない。


ここで隣の『馬場邸』の住人のおっちゃんが畑仕事をしていたので挨拶をして話を聞いてみた。


このお堂は地元の人達が持ち回りでお供え物などを取り替えているとのこと。


篇額(へんがく)にある西国十七番との関連は分からないらしい。


庵の扉を開けて見せてくれた。





お大師様から仏様からいろいろな神様が祀られている。


皆古くからあるものでおっちゃんも詳しくは知らないらしい。


私はかさぼとけと剣神社について聞いてみた。


剣神社の方は最寄りの住人に聞いた方がわかるだろうとのこと。


かさぼとけはなんとなーくなにかあったような気がしないこともない…くらいの記憶。


私はGoogleマップで森に「道とおぼしき筋」が入っているのを辿り「墓地のような広場」の横に繋がっていることを確認していた。


それを伝えるとたしかに共同墓地の横から山に入る道があるとのこと!


しかし今は山に入る人がおらず道は荒れているだろうから行くのは止めた方がいいと忠告された。


んなこと言われてもこの目で確かめたいですよねー(^ω^)


というわけで出発!


ありますなー


荷物はここに置いていきます。


上り方面の左をゆく


怪しい穴。古墳じゃねえの?近寄ってみたが詳細は解らず


山道は車が通れる幅があり多少は荒れているが問題なく進める。


しかし上がるにつれて倒木が多くなり道も狭くなってきた。





結構上まできたところでそろそろかさぼとけの位置だが、問題はGoogleマップの正確性。


そもそもなぜGoogleマップはここを表示しているのだろう。


Googleマップは大きい社寺を表示していないこともあればこんなマニアックな場所を表示したりとその基準は謎である。


しかしどこかから情報を得て表示しているのだからその情報源を知りたいものだ。


こんな山奥の表示どおり、ピンポイントでかさぼとけはあるのだろうか。


分かれ道に出た。


かさぼとけは「ここ」を指し示している。




あるのか???


分かれ道に挟まれた茂みを覗いてみると…




道がある。




あった(笑)





これだけ!?


これをわざわざマップに表示しているのか!
しかもジャストピンポイントで!!


真ん中のつまみを回して扉を開ける。




何もない。


さらに屋根を持ち上げてみる。




やはり何もない。




「かさぼとけ  神山」をネットで調べるとこの地域の伝説や昔話を集めた報告書がでてきて、その中の一項目に『かさぼとけ』と書いてあったが詳細までは載っていなかった。


役所にでも行って聞いてみれば該当する資料を教えてくれそうだ。


参考までに道のりの記録を。
航空写真を見れば共同墓地はすぐわかるのでそこまで行けば道は単純だ。




そして次は行場だ。
行場へ行く道も当てずっぽうだが、印のすぐ近くに電線の鉄塔があるのがわかる。


なのでそこまで行けばあとは何とか辿り着けるのではと予測。


一旦来た道を戻り分岐点から鉄塔を目指す。




鉄塔のある場所は一際高い点で眺めがよい。


岩の下は絶壁だ


測量かなにかの印だろうか


景色は抜群!


ここからの私の予測はこうだ。




そう、大間違いなのであった。




実際の位置関係はこのようであり、ちょっと下れば行場かなと思ったらとんでもない目にあった。


鉄塔からそのまま下へは崖のため行けないので迂回しながら山肌を下りる。


下りれば下りるほど遠ざかる。


地図の指し示す点に行場があると信じ、方角を見定めて垂直に立ちはだかる大岩をよじ登る。


お腹のチーバくんを、引っ掛からないように背中に回したり戻したり。


掴んでもゆるがない木の根、踏ん張っても欠けない岩場の突起を慎重に探りながらぐいぐい登っていく。


本当の「修行」だなこれは。


大昔の修験者(しゅげんしゃ)と同じだ。


一体俺は何をやっているんだ。


そんな疑問は沸かない。疑問に思ってる場合じゃない。


登るための取っ掛かりを見つけて登っていくのがただただ楽しい。


アドレナリンが出まくっている!


そしてついに行場を発見した!


「なにか」いるぞ


祭壇かな?


役行者(えんのぎょうじゃ)の像だ


奥にはぽっかりと口を開けた岩場がある。




中に入ってみると…




行場といえばお不動様。




土台には施主と世話人の名前が彫られている。



立派でございます


さらに岩場を登ってあたりを散策。
すると左右にお社を発見!





反時計回りにまずは右側から。




扉が壊れているのでどかしてみた。




木札、というのでしょうか。
祀られている神様と奉納された方のお名前が書いてあります。


天神地祇古釼太現守護」と読めます。


天神地祇(てんじんちぎ)とは「天の神と地の神」つまり「あらゆる神々」を意味します。


「剣」の古い字は「剱」「劔」「釼」「劒」などがあります。


「古釼太現守護」は調べても出てきませんでした。


反対側へ回る途中に岩場の突端へ。



ふざけてますが断崖絶壁です


こちらのお社には何があるかな?





なんと盛りだくさんです!
扉を開けると垂れ幕もあり、中には折り重なるようにいろいろなものが詰め込まれていましたのでちょっと出してみました。


剣に大蛇が巻きついてます


「戌ノ年女」とは。厄年かな






先ほどの木札と似ていますが「釼山大権現」と書いてあるので分かりやすいです。


両脇には「五穀豐(豊)熟」と「村氏安全」という願いも書かれていますね。


この山がなんという名前かは分かりませんが、剣山(つるぎさん)といえば徳島県最高峰の名山で修行の聖地であったりと有名な山ですから、そこの神様を地元にお迎えしてお祀りしたのではと思われます。


鏡です





きちんと立て直して並べ直して納めてきました。


お社の前にはいつ置かれたか分からぬ100円玉が置いてあったので、私も100円玉とメモ帳の紙に年月日、住所と名前、大師ご宝号を書いて置いてきました。


さて帰りです。


帰りなら正規ルートが分かるはずです。





まだ他にもお社がありましたが扉は開けられませんでした。




ちゃんとお鎖もありました。





しかしここからが大変でした。


結局道が見当たらない(笑)


これは誰も来なさすぎて道が消えてしまったっぽい。


そんな帰り道に目印となったのが「地籍調査」のピンクのテープ。


地面に打たれた杭の場所を示すため木の枝などに巻かれているものだ。


テープの所に行って辺りを見回せば必ず次のテープが見つかる。


そうやってどんどん下りていったら道路に出られた!


一安心してもと来た方向へ歩いていると…




神社発見!









やっぱりあったのねー。


そりゃ神社がないのに行場だけあるわけないか。


しかし神社の周辺を見ても行場への入口が見当たらない。


来た道を戻って反対側へ進んでみる。




ここがなんだか山へ入っていく道に見えるが、立て札などはないしやはり道らしき道の様子を無くしている。




もはや麓からでさえあの行場へ行こうとするのは困難なようだ。


次に私が置いてきたメモを目にする人が現れる日はいつになるのだろうか。


大変貴重な行場に辿り着けて本当に楽しかった。




スタート地点の共同墓地に荷物を取りに戻り、次の札所へ向けて歩き出す。


次回へつづく!












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