さいとうひろおブログ

夢と希望と借金しかない。千葉県の実家から沖縄目指して歩いてます。自分探しではなく、探した結果見つかった答えがこれだった。

裏料金プラン!『どんなときもWi-Fi』

どーもどーも。



お遍路のブログが中断しております。


書き始めると文字数が膨大になるため旅をしながら書くのは諦めました。


現在は冬季休業に入り九州地方で仕事をしています。


なのでこれから少しずつお遍路ブログをアップしていきます。


それに当たり、大量の写真をアップするのにスマホ格安SIMのデータ通信速度ではとても追い付つかないため、久しぶりにWi-Fiを契約することにしました。



『どんなときもWi-Fi




YouTubeを見ているとやたらにCMが入るこのWi-Fi


調べてみるとそんなに悪くなさそうなので早速契約。端末が届きました。


中には契約内容などが書かれたいろいろな紙が入っています。


おや?


なんだこのプランは?


『特別データ放題プランA(以降 特別プラン)


通常プランより安いが申込サイトにこんなプランあったかな?


気になって調べてみると、なんと全く別の申込サイトが出てきた! 



見てみると月額料金だけでなく様々な点でお得である。


《通常プラン(クレジットカード払い)》
・月額3,480円
・2年目以降は3,980円に値上がり
・契約解除料が12ヶ月まで19,000円、13~24ヶ月まで14,000円、更新月は0円、26ヶ月以降は9,500円
・安心保証オプションが月額400円
・端末は契約解除後は要返却
こちらはクレジットカード払いの月額料金で口座振替はもう少し高いうえに振替手数料が発生します。


《特別プラン》
・月額3,280円
初月無料
・以降ずーっと3,280円
・契約解除料は24ヶ月まで9,500円、更新月以降は0円。
・安心保証オプションは初月無料、11ヶ月利用後にほぼ同額分の5,000円キャッシュバックあり。その後オプションは解約してもよい
・契約解除後の端末返却不要


どうです?めちゃくちゃお得じゃないですか?
知ってたら初めからこちらのプランで申込みますよね?


イラッときたのでサポートセンターへ電話して聞いてみたところこんな回答が。


・特別プランの申込サイトはアフィリエイト専用の申込サイトである。
・契約書面を受け取った日から8日以内であれば「初期契約解除」ができ、これには月額料金も契約解除料も発生しない。ただし契約事務手数料の3,300円(税込)は発生する
・再度専用サイトから特別プランを申込んでいただきたい。そのときも契約事務手数料は発生するが月額料金の初月無料にて相殺されると考えていただきたい。


とのことでした。


これって、つまり…


「一度通常サイト(通常プラン)で契約してから専用サイト(特別プラン)で乗り換える」ことを想定してるよね?


契約事務手数料の二重取りともとれるが、17ヶ月使えば回収できるからまあいいか(3,480円-3,280円=200円で3,300円を回収)。


これに気が付いて調べてすぐ乗り換える人ってどれくらいいるんでしょうか。


これからどんなときもWiFiを契約しようと思っている方は以下に専用サイトのリンクを貼っておくので是非そちらから申込むことをオススメします。


サポートセンターの電話口のおねえさんは「特別データ放題プランA」の言葉を聞いた途端にトーンが低くなり申し訳なさそうな口調に変わりました(笑)








 



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己を知るために、己を貫くために





「危険」とは「安定が乱れるかもしれない」ということだ。



心の安定、体の安定、経済の安定、居場所の安定など。



それは「ワクワク」でもあるし「ドキドキ」でもある。


人間は賢い。



種(しゅ)として繁栄するために様々な秩序、ルール、マナー、法律、規則などを作り出してきた。



それらを守ることが安定に繋がると知っている。



それらを守っていればとりあえずは普通の生活を送れると知っている。



知っていながら、ワクワクしたりドキドキしたりするのだ。



なぜ?



それが「自分の行きたい道」だからだ。


種としての本能に抗(あらが)って芽生える己(こ)としての欲求。



それこそが「本当の自分」だ。



「怒られるかも」「迷惑がかかるかも」「嫌われるかも」「笑われるかも」「仲間外れにされるかも」「お金を無駄にするかも」「怪我をするかも」「仕事をなくすかも」「将来が不安かも」……



でも!行きたいんだ!
そうやって生きたいんだ!



確かめてみたいんだよ、自分が自分のやりたいことをやって何を感じるのか!



自分が何を好きで何が嫌いか分からないなんて、答えられないなんて、それじゃあ生まれてきた甲斐がないじゃないか!



そんな人生、生きていく価値がないじゃないか!
















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【55日目】 強烈な思い出の地『弥谷観音』他、平等寺、月夜御水大師、鉦打大師堂など

どーもどーも。


6月24日(月)


黒瀧寺を打ち終わりまして今度は東へ進みます。


太龍寺ロープウェイ乗り場の前を走る195号をてくてくてく。



「わしょく」じゃないですよ。
「わじき」です。


「鷲敷(わじき)」という表記も見られますが、元々「和食」という自然発生した地名、町村があり1889年に町村制の施行により他の町村と合併し「鷲敷村」になりました。


その後1908年に「鷲敷」になり、2005年にさらに周辺の町村と合併し現在は「那賀町」の一部となりました。






しばらく歩いて道の駅わじきで休憩。



グミはおいしくなかったです。
さてこの先から南に向かい山越えです。
大した道のりではありませんので楽勝です。




この阿瀬比(あせび)地域から大根(おおね)峠を越えてきたわけですが、看板にある音坊(おとんぼ)山とその山頂にある山上神社が気になります。
またいつか行ってみましょう。


山を下りると長閑(のどか)な田園風景が広がっています。


田んぼを眺めながら進むと町の景色に馴染んだお寺が現れます。






珍しく院号まで書いてありますね。

二十二番『白水山 医王院 平等寺
(はくすいさん いおういん びょうどうじ)





縁起にあるようにここはお大師様の「あらゆる人々の心と身体の病を平等に癒し去る」という願いが込められています。




本堂の前にこんな看板が。
6年前にはなかったものです。



私も撮ってみました。



頭の部分と背景の境が曖昧(あいまい)ですがたしかにそのように見えますね。


お次は進路を少しはずれて大通り沿いにあるローソンへ向かいます。



ここは6年前にも寄った思い出深いローソンです。


当時は鶴林寺太龍寺平等寺と続けて進んだのですが平等寺には納経ができる17時に間に合いませんでした。


寺の周辺には商店がなく、もしくは閉店していて食料が買えず仕方なくこちらのローソンまで足を延ばしました。


そうしてやっとこさお店で買い物をしていると副店長の名札をつけた青年(結構若かった印象)が私のお腹に抱えられているチーバくんを見て「チーバくんですね!」と声をかけてくれたのだ。


嬉しくなって少しお話させていただいたあと外で買ったものを食べていると、なんと副店長さんがコーヒーをお接待で持ってきてくれたのだ!


二重三重に嬉しかったなぁ。

元気でおられるだろうか


進路に戻り次の札所を目指すのですが、ついに次の二十三番で徳島県の札所は最後です。


そこまでの道のりは距離があるうえ、私は他の霊場に寄る関係でさらに時間がかかります。


一歩一歩進みましょう。




なんとも風流なバス停名です。
この土地の名前も月夜(つきよ)です。
そしてその由来にはお大師様とその霊跡が関係しています。 


また無造作にこんな不思議ポイントも。




このような逸話に触れるにつけ、一体最初にこの話をした人は何を考えていたのかとても気になります。


まだ寺や神社ならそれらしさを演出するためにも、たとえフィクションだとしても伝説のひとつやふたつあっていいでしょう。


しかしこのような道端の石に不思議エピソードをつける理由がわかりません。


昔の人の戯(たわむ)れが思いのほか長く言い伝えられたのかもしれませんが、当時の人に聞いてみたいですね。


さらにぽつんと小さい神社が。






御所(ごしょ)神社、祭神は土御門(つちみかど)上皇である。


本当にぽつんと、ひっそりと佇むこの神社。
看板の説明書きにあるとおり「行宮」は「あんぐう(かりみや)」と読み、天皇行幸(ぎょうこう、みゆき:外出のこと)や政変により御所にいられない時に建設された施設のことである。


細かいことを言うと土御門上皇は「天皇」ではなくなっていたため外出は「行幸」ではなく「御幸(ごこう、ぎょこう、みゆき)」という。
天皇以外の皇族の外出=御幸に際して建てられた施設のことも行宮といっていいのかは不明である。



この先にあるのが番外霊場『月夜御水(つきよおみず)大師』である。









お大師様が杖で土を堀り水を湧かす話はよくありますが、ここはその湧き出した水底に光る石を見つけ掲げたところあたりを照らしまるで月夜のようになった、という伝説なのです。


ここからまた山道に入ります。
途中から道路に合流して緩やかな道が続き、大きな道路に出ます。


優しい


これから峠を越えるぞという道路脇に薬師堂と大師堂があります。



右側が『鉦打坂(かねうちざか)薬師堂』、左側が『鉦打大師堂』です。
「鉦打」はここの地名です。






要約しますと、この先の道は土佐街道といい街道随一の難所として古くは多くの旅人や遍路を苦しめたという。
疫病に罹(かか)ったりそのまま行き倒れになる者もあり、地域住民は哀れに思い養生所(ようじょうしょ)や供養塔を建てた。
その後薬師瑠璃光如来を灌頂(かんじょう)祈願したのが薬師堂の始まりで今に至ると。


そしてお隣の大師堂については…



要約しますと、お大師様が四国を廻っていたとき、平等寺から土佐街道を通りこの先の魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住むという弥谷(いや)渓谷に足を留めた。
そしてそこを奥の院修験(しゅげん)の場と定め厳しい修行の末に即身成仏を唱え如意輪穴観音と七不思議の霊跡を遺されたと。


どちらもこの先にある福井ダムの建設にともない元の位置からは移動しています。
七不思議もそのいくつかはダムに沈んだとのこと。


道路は交通量が多いので要注意です。
トンネルを抜けた先に弥谷観音の案内看板が目に入ります。




「いやだに」と書かれていますが「いや」が歴史的な読み方だと思います。


ダムにかかる橋


名前の由来が素敵です


七不思議を見るために横道に入ります。


夫婦地蔵は痕跡分からず

笠地蔵はちゃんとしてます


日天(にってん)・月天(がってん)は先ほどの橋の説明からすればこれはレプリカですね


案内看板にはこの三つだけでしたが弥谷観音へ向かう階段の手前にこんなものが。



これは気になる!行ってみましょう。



これが穴かな?


草木に埋もれた石垣や燈籠(とうろう)


手水鉢(ちょうずばち)もあります


お?なんだか不思議の重なっている巨石



これがゆるぎ石で間違いないだろう


なにも説明書きなどがないのでいまいち消化不良ですが、まあいい探検でした。


一旦谷へ下りたので階段を上り道路へ出ます。
ほぼすぐの目の前に弥谷観音の入口とその前には広場があります。

プレハブは納経所ですが無人です




というわけでここが二十二番平等寺奥の院である『弥谷観音』です。




ゆるぎ石のレプリカ








御朱印はどうするのかということですが、先ほどのプレハブに管理寺の電話番号が書いてありますので電話してください。
ご住職の予定次第なので、こちらまで来ていただけるのかこちらから赴くか、その日のうちにいただけるかどうかは要相談です。


確実にいただくためにはあらかじめ電話をしておきましょう。

管理寺は来た道を戻る方向にあり弥谷観音からそう離れてはいません。
阿波福井駅の近くです。

真光寺
阿南市福井町土佐谷4
0884-34-2686


私は時間的にこの日は無理なので明日の朝にお伺いする約束をしました。



《おまけ》
この弥谷観音は6年前のお遍路で最後の最後に訪れた場所なのです。
結願(けちがん)して徳島駅に戻ってから電車に乗りやってきました。
なぜその様なことになったのか。

お時間ありましたらその理由を当時のブログ記事でご確認ください。


なぜ最後にわざわざ弥谷観音に!?
その一連の記事はこちらから!
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フードセンターもりの下あたりにローソンがあります


足跡がバグっていますがたしかにうろうろしてました






今日の動画はこちら!
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【51日目~54日目】黒瀧寺往復の国道沿いまとめ

どーもどーも。


というわけで二十一番太龍寺奥の院『黒瀧寺』を打ち戻ってくるのに4日かかりました。




国道は普段人が歩くようなところではないので車との接触はヒヤヒヤしながら歩いてました。
私を見かけたドライバーさんたちも驚いていたと思います。


そんな道中に見かけたものあれこれをまとめてアップしていきます。


百姓一揆(ひゃくしょういっき)の供養塔』

一揆とはお上(かみ)に対する反乱です。
今でいえば過激なデモのようなものですが、今と違うのは「命懸け」だったということです。










もしかしたら解ってくれるかも、追い返されるだけで済むかもなどとは思っていません。
初めから死を覚悟で挑むのです。


なぜ農民をここまで追い詰める必要があるのか私には分かりません。


悲愴な覚悟と悲惨な結末。


それほどに彼らの郷土と家族を想う気持ちは強かったのです。


だからこそ碑を建て語り継いでいかなければならないのですね。



ちなみに「仁宇谷」「丹生谷」の「にう」とは「水銀」のことで、かつここが産出地であったことが分かります。






那賀川雄大で上流に行けば青く透き通るほどの清流です。


水力発電所が2、3基あり工事中のものもありました。


川沿いは水害との戦いの歴史でしょう。


間近で見る巨大構造物はその歴史の重さと人間の叡智(えいち)を感じさせてくれました。


『お不動様』

お不動様をいくつか見かけました。





明治38年は戦争の最中です。
「軍人武運長久(ぐんじんぶうんちょうきゅう)」とは読んで字のごとく軍人の武運(無事)が長く久しく続くことを祈る言葉です。


地域から出兵した若者たちのために建てられたのでしょう。




こちらには我が地元である千葉県の成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)のお不動様が!!



しかも平成31年と新しい。




成田山には毎年初詣に行っています。





こちらも平成31年でしょうか。
家内安全と交通安全が祈願されています。





これは結構黒瀧寺の近くまで行ったところにあったと記憶していますが、道路からふと目を横にやると遠くに石碑があるのが見えました。




わくわく。




行ける、な。




石碑の正面は川に向いており、ここから川沿いまで降りられそうな、昔は降りられたであろう道がありました。


途中まで行ってみましたが崩れかかっていたため引き返しました。


『新四国(ミニ四国)』

もちろん寄りませんでした。
いろいろ神社とかあって面白そうでしたが。




行きの一日目はこんな感じでした。





二日目は黒瀧寺参りです。


その手前に、これまでは道路から川沿いまで降りられないほど高低差があったのですがやっと降りられるところがありました。



三日間の洗濯物がたまっていてこれから先もコインランドリーが見当たらない状況だったので川で素洗い。




透き通ってて気持ちいーー!!




あばばい」とは??
徳島の方言で「まぶしい」という意味だそうです。
例「天気がよくてあばばいね。」など。


この後に黒瀧寺参りです。
山から下りてきたところで就寝。
2日目終了です。


そして帰りです。
3日目スタート!




川辺にある巨岩。
これが一塊で山から転がってきたのかと考えると恐ろしい。




草木も生えちゃってます。
もう封鎖されていますが道路から渡れるよう梯子も架けられています。





自然の洞穴だと思いますが覗けば何かお祀りしてありそうな雰囲気。





対岸へ渡る十二社橋。
何があるのかと渡ってみると…




降りた先には電線の支柱?のようなものがあるだけで何も見当たりません。


これのためだけに橋を架けたのでしょうか?
それとも昔は何かあったのでしょうか…。


『宇奈爲(うない)神社』



ここの元の名前が『十二社神社』です。
先ほどの橋もそうですし近くのバス停も「十二社前」です。






この縁起の最後に書かれている「十二社七不思議の御霊跡」なるものがどうしても気になるのですがネットを調べても出てこず。




たくさんの神様が大小様々なお社に祀られています


拝殿の裏に本殿があります


ここは過去の水害のためかこれからの対策として建物が高い位置に移動され法面(のりめん)の補強がされています。
なので境内も綺麗なんですね。


神社の前の灯明杉(とうみょうすぎ)


「灯明杉 十二社神社」とあります


場所はこのへん






神社や遺跡のような場所ではないのですが大木の根本になにやら意味ありげな形をした石が。




謎です。


国道沿いには他にも神社がいくつかあります。



読めん







こんな神社も。











黒瀧寺の伝説しかり、なにかと龍にまつわる信仰や伝説が見受けられます。


龍(竜)は洋の東西を問わず厄災の化身でありまた神聖な神の使い(もしくは神そのもの)でもあります。
つまり超常的な存在の象徴なわけですね。


この地域一帯は川沿いであるため水神として龍を崇めたり畏れたりした歴史があるのかもしれません。


前回の記事で「金毘羅様」について触れました。
海上交通、航海安全の神様がなぜ山の中に祀られているのか?


四国は山が多く林業が盛んです。
現代のように道路が整備されていない時代は山で切り出した材木は川まで運ばれ川の流れに乗せて河口へ、そして船により海を渡って各地に運ばれました。
このことから山の木こりは自分たちが切り出した材木が無事に運ばれるよう祈願して金毘羅様を祀ったのではないかと考えます(私的推論)。


『もみじ川温泉』




行きに通ったときも入りたいと思いましたが帰りのお楽しみに取っておきました。
今日は入るぞー!




ラッキーなことに施設内に洗濯機と乾燥機があったのでお洗濯。


そのあとは食堂でご褒美!

うぃー






お肉と魚の名前忘れたー!けどめっちゃ美味しかったです!!(^^)


3日目はここ(の駐車場)で就寝。





4日目も順調に進みます。



このあたりでは貴重なラーメン屋さん。
お昼時だったので満員です。


美味しくいただきました


そうして黒瀧寺参りスタート地点のコンビニに戻ってきました。



天気は雨。
夜に向けて強くなる予報。


買い物をしているとお客さんの一人とチラチラ目が合う。
中年の女性だがどこかで会っただろうか?
表に出たところで声を掛けられる。


そこでやっと気づいたが、初日に寄ったスーパーの店員さんだ!
いろいろお話させていただいて「帰りにまた寄りますよ」と約束したので今日寄ったのだがお休みだったのだ。


仕方ないと思ってあきらめていたがなんと最後に再会することができた。
ご縁ですねー(^_^)


最終日は行程の記録を取っていなかった。
まあ、同じだからいっか!てな感じす。 


これにて二十一番太龍寺奥の院、黒瀧寺の打戻りは無事終了です。


また明日から通常ルートで二十二番を目指します!
















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旅立ちから一年

【2018年9月5日】
に、千葉県の実家から沖縄を目指して出発したのだった。


初日で膝裏がぶっ壊れたのだった。


たくさんの友人に会いながら、応援されながら、面白がられながら進んだのだった。


ホントにいろいろあったなぁ。


でも、ツラかった記憶はないんだよね。
きっと、楽しいことが多くて忘れちゃうんだな。



Mr.Children(ミスターチルドレン)の『くるみ』という歌の中に「希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える」「出会いの数だけ別れは増える それでも希望に胸は震える」という一節がある。


人によって、ツラい体験が多い人はそんなに簡単に楽観的にはなれないのだろうけども、どっちを取るかで人生は大きく変わる。


フランスの作家、ロマン・ロランは言った。
「人はおおむね自分で思うほどには幸福でも不幸でもない。 肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。」と。


俺は仕事も場所も人も飽きやすいのだが、どうやら望んだり生きたりすることにはまだ飽きていないようだ( ˘ω˘)☆彡



膝裏の激痛に悶(もだ)えたあの日





  
 








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【50日、52日目】秘境!『黒瀧寺』他…、虚空蔵菩薩堂、加持久保八幡神社、金毘羅大権現

どーもどーも。


6月20日(木)


太龍寺を打ち終えたあと、通常では次の二十二番札所の平等寺に向かって東へ山を下りていくところをほぼ真南に下りてロープウェイ乗り場の近くまで行きました。


目的は太龍寺奥の院『黒瀧寺』へ行くためです。


太龍寺奥の院は南舎心ヶ嶽だけではありません。
また「ここが奥の院かどうか」意見が別れることもない明確な奥の院です。


一つ問題があるのは、ここが長距離の打戻りだということです。




車のマークがあるところがロープウェイ乗り場の麓なのですが、国道をひたすら西に進み最後は約6kmの山道を登り標高およそ700mの黒滝山頂にまで行かなければならないのです。


そこまで行って打戻りなのですよ(-_-;)


おそらく黒瀧寺を徒歩で打つ人の多くは上の写真(地図)で灰色で示されているルートで行くはずです。
これは鶴林寺を打つ前に奥の院である慈眼寺を打ったあとにそのまま黒瀧寺へ向かうルートです。
その方が歩く距離数は短くて済みますので。


ただ私は慈眼寺は慈眼寺で打戻って黒瀧寺は黒瀧寺で打戻ることにしました。
上ルートは山あいの何もない国道、下ルートは川沿いで人家や商店があるのでこちらを選びました。


上ルートでも黒瀧寺の手前に古民家宿があります。
名前は『ゲストハウス杉の子』さん。
地域興し協力隊を経て土地に根付いた若者が運営しているそうで、交通手段がめちゃくちゃ不便にも関わらずクチコミの評価はとっても高く外国人観光客にも人気のよう。
私のお遍路仲間も黒瀧寺を打つときにここに泊まっていました。
機会があれば私も泊まってみたいですね。


というわけで出発。
なのですがこの日は途中で一泊。
道中見かけた景色やお寺などはまた戻りの時と合わせて記事にしますので、ひとまず黒瀧寺の麓までワープ!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


6月21日(金)


黒瀧寺は太龍寺奥の院として、また曼荼羅(まんだら)霊場の一寺として案内看板も大きく表示されています。





途中にあるお不動様


迂回路ができたため封鎖された石橋




このあたりの地名「木頭名(きとうみょう)」はお大師様が「祈祷(きとう)」されたことから名付けられたもの。
木頭は柚子の産地として有名です。
 



道はずっと道路なのでさほど大変ではありません。


途中に大きな風車があったり山の中でもまだ集落があったりと景色も飽きません。


中腹より上に来たあたりの集落に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)堂があります。




お堂の裏手




地神様もあります


さらに上って黒瀧寺の手前になると加持久保(かじくぼ)八幡神社もあります。





↑このお社は後で説明が入りますよ!




黒瀧寺への道は過去に台風で一部が崩落し少し遠回りになるルートが新設されたと地元の方に聞いていました。
案内書看板やバリケードがありましたので危険箇所に誤侵入することはないと思います。


そうしてようやっと到着!




龍王山 黒瀧寺』
(りゅうおうざん くろたきじ)









味のある案内看板




縁起を要約しますと

『お大師様が大竜ヶ嶽(太龍寺のあるところ)で修行中に神龍があらわれ「黒滝山に竜が住んで住民が困っている」と言われた。さっそく山へ向かい途中で虚空蔵菩薩を彫り上げお堂を建てた。さらに悪魔退散の加持祈祷を行った。いよいよ山頂で竜と対決し竜は麓へ退散。改心した竜は山頂に浄水を送ると約束した。』

てなわけで太龍寺との関係、木頭の由来、虚空蔵菩薩堂の由来、加持久保八幡神社の由来と全部が説明されていますね。
この「浄水」というのも「閼伽井(あかい)の水」として境内にあります。


相変わらずの不可思議な伝説ですが、神龍てのもお大師様に行かせないでお前がいけよと思いますね。
竜に勝つお大師様も大概ですが。


そしてこの一連の話がフィクションだとすれば(だと思うのですが)実際に虚空蔵菩薩堂や八幡神社、黒瀧寺が建てられた経緯があるはずでそれは一体なんなのかが気になります。
これは他の社寺や遺跡にも言えますよね。


順に境内を散策していきましょう。
まずは御本尊の十一面観世音菩薩様。



曼荼羅霊場の結願寺(けちがんじ)でもあります


脇侍(わきじ・きょうじ)には不動明王と四天王の毘沙門天(びしゃもんてん)




お祈りすれば漬け物が上手く漬かるのか?


なんだろ?



本堂の横に大師堂です。





大師堂の裏手には開けた敷地があるのですが、元からの庭園ではないようですよ。




昔は池であったが戦争により流れた血で赤く染まったそうな。
その後水も枯れて今のようになったとな。


大勢の血が染みているのか…


お次は東の展望所『鶴ノ丸』へ。
所々枯れ葉や伸びた草で道が合ってるか不安になりますが信じて進む!





いい眺めだなー!


引き返して方丈(ほうじょう:住居)の脇にある駐車場から奥に進んで閼伽井の水へ。



案内看板の表記は「お加持水」。こちらの表記は「阿伽井」。説明看板は「閼加井」。いろいろあります

 




透き通ってますがちゃんと水はあります。
一口いただきました。


戻って西の展望所『亀ノ丸』へ向かう途中に右に行ける道があり、柵の向こうに『竜の逼割(せりわり)』が見えます。


岩肌に竜がのたくったように横にえぐれています。




亀ノ丸は鶴ほど遠くありません。




周囲の木が茂って鶴ほど展望は臨めません。
案内看板には「行場道」とあり谷へ下りていけるような表示でしたが、今は崩れて行場へは行けません。


もうひとつ、案内看板に『三十八番神』とあるのですがこれがどこにも見当たりません。


探してうろうろしているとご住職が庭の手入れに現れたのでお話を伺ってみたところ「ばんじゅさま」と呼ばれるお寺の守り神みたいなものだそうです。


お寺に神とはこれ如何に。 
といっても神仏習合の時代にお寺と神社は緊密な関係で隔てられておらず、お寺やその土地を鎮(しず)め守るために神様をお祀りして建てられた神社を鎮守社(ちんじゅしゃ)と呼んでいました。
いまでも各地に鎮守社はたくさんあります。


黒瀧寺のばんじゅ様も鎮守神なのでしょう。
そしてそのお社は現在は加持久保八幡神社に遷(うつ)されているとのこと。


行きに立ち寄ったときの写真に納めていたお社がそれです(戻ってみてね!)。


いやー、黒瀧寺を十分に堪能しましたな! 
人が住まわれているので山の上のお寺でも綺麗に管理されています。
霊場の一つとしてだけではなく地域からもしつかりと大事にされている証ですね!


本当は帰りにゲストハウス杉の子さんに立ち寄ってみようと思っていたのですが、この時点で17時を回っていたので下山することにしました。
残念ですがまた今度ちゃんと宿泊するときのお楽しみにしておきましょう。


そうそう、帰りに気になっていたところをもうひとつ。




行きに立ち寄った虚空蔵菩薩堂なのですが、お堂の脇に道があったのです。


山を登る前、地元の方とお話をしていたとき「集落の人しか通らない道もある」と聞いていました。


道路はくねくねしていますがそこをショートカットするように道があるのではと踏んでいたので帰りはそこを通ってみようと思っていました。


馬の背のような細い道を進んでみた先にあったのは…




青い鳥、ではなく青い鳥居


なんだこれは!?
予想外の発見に急激な胸熱!!


扁額(へんがく)の文字はかすれて読めない


道は綺麗だ


てっぺんにはお社があり結界としての注連縄(しめなわ)と新しめな紙垂(しで)が。
集落の方が手入れをされているのでしょう。






金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)
とあります。




この金毘羅さまはお大師様の伝説とは関係なく地元の方々によって建てられたものだと思います。


そもそも「金毘羅さま」とは海上交通、航海の安全の神様なのですが、なぜこんな山奥に海の神様が?


それはまた次の記事に…。
 





昨日20日太龍寺ロープウェイ乗り場近くにあるセブンイレブンから約27km進んだところで野宿。




今日はそこから黒瀧寺を打って山を下りたところで野宿です。
記録をこまめに取らなかったので分かりにくいですが上の写真は21日から連続で記録し翌22日にもみじ川温泉(右側のマーク地点まで)歩いた記録の写真です。




マーク地点は登り口。
このあたりで唯一の食料調達できる貴重な物産店があります。
山を下りてきたときには19時近かったのでお店の裏手で野宿させていただきました。




赤が往路、青が復路です。
虚空蔵菩薩堂の下を行き帰りしている所が金毘羅大権現


金毘羅大権現への入り口の横にもうひとつちゃんと聞いたとおりのショートカット道がありました。
民家の脇に出てきましたが案内看板はないので運良く地元の方に会えない限り行きにこの道を見つけることはできないでしょう。




 
昨日は道路をひたすら27km。
今日は山道往復12kmを含め26km。
よく歩きました!




優しい味でした♡




















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【49日、50日目】徳島の山場『鶴と龍』鶴林寺と太龍寺…他、東林庵、観正寺

どーもどーも。


6月18日(火)


今日は慈眼寺打戻りの疲れによりお休みします。
次の二十番鶴林寺と二十一番太龍寺は2つの山越えであるため体力が必要なのも理由です。


が、その山の手前に鶴林寺の前札所があるのでそちらをお参りしてみましょう。


道の駅から鶴林寺へは案内の目印がたくさんあります。
方向としてまずはそれに従って進みます。


すると『東林庵』なるものが現れました。
これは前札所ではありません。




読めん




『東林庵 ○○ 薬師如来』とありますが○○の部分が読めません(-_-;)




ここもお大師様と関係がある場所なので番外霊場といってよいでしょう。


この先に山への入口を示す看板が現れるのですがその先へ進みます。


Googleマップで示すとこんな感じ。
『よってネ市』が道の駅です。
鶴林寺は観正寺の南西にあります。




緩やかな山肌の集落の中にお寺はあります。







集会所や避難所、公園も兼ねています。





『平鶴山 観正寺(へいかくさん かんしょうじ)』
阿波秩父音霊場でもあります。







お墓がかなりの面積で広がっています。
きちんと区画整理されたお墓を見慣れていると田舎のお墓はのびのびしていていいですね。


「死」や「死者」が生活のすぐ隣にあり、自然とも一体となっています。


人が生まれ、生き、死に、そして自然に還ってゆく。
特別なことではなく当たり前の自然の循環が自(おの)ずと身に付きますね。


このあと広場の石のベンチで6時間ほど爆睡致しました。
日陰にそよ風、人も来ず車の騒音や生活音もしない最高の環境でした( ˘ω˘)スヤァ


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6月19日(水)


いよいよ徳島県最後の山場、その字の通り山を2つ連続で越える難所です。


まず鶴林寺ですが、ここへは通常のルートではなくもっと勝浦川寄りの方から登るルートへ行ってみます。
 

黄色い地図には載っていませんが英語版には載っています。


円城寺というお寺の脇を通りほぼ直線で鶴林寺へ向かう道です。


途中、地元のおっちゃんに「こっちに道はないぞ」と言われたのでそんなに珍しい行き方なのかと思いましたが、案内看板がある道路に出てくるまでの心配でした。




道路工事などで昔とは道が変わっていて「こっちではない」と言われたのかもしれません。
後ほど再会する地元の方は子供のころこちらのルートで登ったとおっしゃっていました。





観音様にご挨拶をして山道突入です。





道は荒れてはおらず気持ちのいい景色ですが直線で登る分傾斜が急でかなりキツく感じました。




山門へは40分で到着!
定番ルートでどれくらいかかるか忘れましたがこれはかなり早いのではないでしょうか。




霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
(りょうじゅさん ほうじゅいん かくりんじ)


ここは仁王像ではなくお鶴さんがいらっしゃいます。
ちゃんと「阿・吽(あ・うん)」になってます。



 
 
山門の前、登ってきた道の終点にこんな石柱があります。 




奥に見える道は定番ルートです。
この指が指す方向から登ってきたわけですが「奥之院」と彫ってあります。


なるほどたしかにこちらから下りればそのまま慈眼寺へ向かう方向ですね。


では境内を見ていきましょう。


三重塔


大師堂


造形の細かなお鶴さん


顔が渋い


二体の大師像





この一本杉に神様が鶴とともに降りてきたそうな。



上へ続く階段




境内を掃除中のおばちゃんに聞いたところ聖天堂(しょうてんどう)とのことですが何の看板も扁額もなありません。
さらに奥に階段が見えますね。





アンテナ基地局みたいなものがありその基礎の石積が崩落してます。
崩落してなければ(避けられれば)部落へ抜けるルートも歩いてみたいですね。


このあと納経して御朱印をいただきますが、ここでは三ついただきます。


まずは星の岩屋(星谷寺)の御朱印
これは本来管理されていたご住職の筆を版木にして捺してくれます。


次に観正寺。これが滅多にもらう人がいないようで納経堂の職員さんも御朱印があることを知りませんでした。
ご住職に聞いてロッカーをガサゴソ…。
これも版木でした。


そして最後に鶴林寺御朱印です。


一つのお寺で三つも御朱印をいただのも貴重な経験でした。


このまま境内から山を降りる道が延びています。
次の太龍寺へは山をそのまま伝っていくのではなく一度谷まで降りてまた登らなければならないのです。
これが「一に焼山、二にお鶴、三に太龍寺」と言われるお遍路転がしたる所以(ゆえん)です。


この後谷へ下りたところで6年前のお遍路のときにご縁があった知人二人と再会。
久しぶりにいろいろとお話ができてとても楽しい時間でした。
今日は太龍寺を打ってロープウェイ乗り場の麓まで下りなければならないので時間を見てお別れ。
またお会いしましょーね!


というわけで太龍寺に到着。





山門をくぐった先に舎心ヶ嶽(しゃしんがたけ)があります。




看板に「北ノ舎心殿」とあるように南もあります。
南の舎心ヶ嶽奥の院となっています。







般若心経を読み上げて境内へ向かいます。


納経堂が先に現れる


二十一番『舎心山 常住院 太龍寺
(しゃしんざん じょうじゅういん たいりゅうじ)


納経堂の前を通りかかったときに中から呼び止められ先に御朱印を勧められました。
太龍寺の境内は広く、長い階段もあるので一通り見てから戻ってくるのは大変だろうとの気遣いです。が、それよりも17時が近いから先に書かせてほしいというのが本音だと思います★


結構な階段を上って本堂へ


本堂


大師堂

ここの大師堂は橋を渡ってお堂へ、そしてお堂の裏手に御廟(ごびょう)があるという配置になっており、これが高野山奥の院と同じ配置であることから「西の高野」とも呼ばれています。


先ほど再会した知人とお寺トークで盛り上がっていたときに、太龍寺のある太竜寺には山頂がいくつかありお堂の跡のようなものがあると聞きました。


これを納経堂の方に聞いてみたところ「太竜寺山は三つの山から成っておりどこが正式な山頂かは異論がある」とのことでした(思い出して書いているので正確な言い回しではありません)。


そして確かに元はお堂があったとのこと。
水も電気もないため廃れたのでは、と。


南の舎心ヶ嶽の先にある登山道のどこかからそこへ向かう道があるはずだそうです。 
時間に余裕があったら行ってみよう。




本堂の正面の階段を下りるとロープウェイ乗り場です。
今日の最終便を見送り私は奥の院を目指します。





坂は急ですがそんなに遠くありません。




たくさんのお社があります。
その先に突き出た岩場があります。


あの背中は…



お大師さまーー!!


太竜寺山を一望。太龍寺も見えます
見守っておられます


お大師様の隣に座らせていただきました。




では日が暮れる前に下りようと登山道を進むとこんな看板が。




この「補陀洛(ほだらく・ふだらく)山」というのが峰の一つでしょう。
きっとこの先へ行けばお堂跡があったはずなのですが、時間が迫っていたため今回は断念。


普通のお遍路ルートであれば山を東へ下りていくためかなりの距離になります。
私は他に行くところがあるためほぼ真南に真っ直ぐ下っていきささっと麓に到着です。




お寺の真横に出てくるのですが、ちょっと悩んでスルー。
しかしこの先の国道との交差点にこんな石柱が。





なにやらお大師様にゆかりのあるお寺のようで今さら気になってしまいました。
でも戻る元気もないので引き返しません。


今夜はもう少し頑張って歩いてロープウェイ乗り場の近くにある温泉に行きます。


到着する頃には完全にあたりは真っ暗になってしまいました。









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